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今までありがとう。そしてこれからも

長年応援してくださった皆様へ

幼少の頃から夢だったプロサイクリストを目指し、高校卒業と同時に日本からフランスへ飛び出してから、早くも20年が経ちました。

当時は日本人プロ選手がいなかったため どうやってヨーロッパのプロ選手になるのわからず、見えない梯子を1つ1つ手探りで上に登っている状況でした。

インターネットがようやく普及しはじめた頃で、今のように情報も溢れていなくて、フランスのマルセイユのアマチュアチームで走ったり、同年代が走るワールドカップのレースを走ったりしながら、プロになるためにはどのレースで活躍するべきかなどの情報を集めました。現地のアマチュア選手たちと共に同じ土俵でレースを走り、勝ち上がっていくのがプロ選手になる1番の近道でした。

ヨーロッパの選手でも各国から年間数人がプロになれるかなれないかの中で、日本人がプロ選手になるのは確率的に天文学的な数字でした。見ず知らずの土地でしたが、家族や多くの人のサポートや応援を胸に、歯を食いしばって、前だけを見続けました。日本人としてではなく、ひとりのレーサーとして、ずっと戦っていました。

プロになるまで順風満帆な生き方をしていたわけではなく、常に崖っぷちに立たされているような状況でした。金銭的にもあまり余裕はありませんでしたが、自分の夢のため、そして今しか出来ないことに、自分の青春時代の全てをかけていました。過酷な状況でしたが、全然苦ではなかったし、むしろ今の礎を作っていくれたと思っています。とてもスリリングでかけがえのない時間でした。

2004年にヨーロッパのトップアマチュアレースで入賞を繰り返し、イタリアのプロの登竜門レースのヴァッレ・ダオスタでステージ優勝したことで、走りが評価され、U23の4年目に当時プロツアー(現ワールドツアー)のビッグチーム、ディスカバリーチャンネルサイクリングチームと契約に至りました。2005年、22歳にして、夢にまでみたプロサイクリストになる事が出来ました。

それから夢の舞台を走り抜けてきたこの17年間は、とてもあっという間でした。ヨーロッパに来てからもう20年という月日が経ち、100年の1/5もの時間に渡って、サイクリングスポーツの流れをこの目で見て来たことになります。

一年一年が契約更新のための勝負の年で、後ろを振り返っている余裕は全くありませんでした。そして、2020年はパンデミックの影響や近代のサイクリングチームの変化もあり、今まで当たり前に走り続けてられていたことが普通ではなくなってしまいました。

自分が好きだった「自由を追い求めたサイクリング」とは、かけ離れたものになってしまい、楽しかった過去を振り返る事が多くなってしまいました。

そう気が付いた時に、ここが、プロレーサーとしての章の終わりであり、新しいページを開く時なのだと思いました。

私は、今シーズンをもって、プロ選手としてのキャリアを終えます。

 

ワールドツアーやプロコンチネンタルの7チームを渡り歩き、三大グランツールのツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャ、5大モニュメントのミラノ~サンレモ、ツール・デ・フランドル、パリ~ルーべ、リエージュ~バストーニュ~リエージュ、イル・ロンバルディアなど走り、北京オリンピックやロンドンオリンピックを日本代表で走りました。

ヨーロッパがメインでしたが、今まで訪れた国は32カ国以上に上り、世界中の至る所をレースで走ってきました。走行距離でいうと地球から月まで走っていたり、本当に多くの時間を自転車と共に過ごして来ました。

今後は、今までの経験を生かし、日本とヨーロッパを繋ぐ架け橋になりたいと思っています。サイクリングの普及や啓蒙、プロモーション、育成などを行う「サイクリングプロモーター」として活動していくつもりです。

これからもスピードは違うけれど、自転車には乗り続けます。今まで選手として生活して来たので、今まで以上にエキサイティングでチャレンジングな生き方でないと、私が私でなくなってしまいます。

まだ公表は出来ませんが、ずっとやりたかった夢を叶えるべく、自転車とは関係のない新たなプロジェクトも現在進行中です。すでに次の夢に向かって走り出しているので、「引退」という、人生の終わりのような言葉は使いたくありません。

生まれてから死ぬまで走り続ける事が私の人生なので、これからも全力で駆け抜けていきたいです。

この自転車競技の人生の中で、応援してくれるファンの皆さんがいてくれたことが、一番の心の支えでした。

遠く離れた異国の地でもSNSを通じ、いつも繋がっていたし、嬉しかった時も辛かった時も、泣きたい時も、いつも一緒に一喜一憂してくれました。今までそういった時間を皆さんと一緒に過ごしてきたことが、私の競技人生を幸せにしてくれました。

応援してくださった皆さんには、本当に感謝しています。

ただ心残りは、最後に皆さんの前で走れなかったことです。

世界が再び平穏になった暁には、きっと日本で走れるチャンスがあると思うので、その時を待っていてください。

そして、今後の活動も応援してくださると、幸いです。

TO BE CONTINUED……

別府史之

戦歴

2002年アジアジュニアロードチャンピオン、日本ジュニアロードチャンピオン

2006年(ロードとタイムトライアル)、2011年(ロードとタイムトライアル)、2014年(タイムトライアル)にロードとタイムトライアルで6回の日本チャンピオンに輝く

2008年アジアロードチャンピオン、2018年アジアチームタイムトライアルチャンピオン

2006年ツール・ド・ロマンディでステージ2位日本人初のUCIプロツアーポイント(現ワールドツアーポイント)獲得

2007年パリ~ルーベに日本人として初めて出場

2009年ツール・ド・フランスで日本人初の完走を果たし、最終ステージで敢闘賞を受賞

UCIロード世界選手権に8回出場

オリンピックに2回出場(北京、ロンドン)

3大グランツールおよび全モニュメントで日本人唯一の完走者。

グランツール – ツール・ド・フランス1回、ジロ・デ・イタリア4回、ブエルタ・ア・エスパーニャ1回

モニュメント:パリ~ルーベ(5)ミラノ~サンレモ(1)ロンド·ファン・フランドル(5)リエージュ~バストーニュ~リエージュ(7)イル·ロンバルディア(2)

なおグランツール、モニュメント、世界選手権、オリンピック、世界の10 大ロードレースすべて完走している現役選手は現在11人しかいない。

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